人気ブログランキング | 話題のタグを見る

わっぜ美味しい鹿児島としかぷーレシピ

shikapoo.exblog.jp
ブログトップ
2016年 02月 03日

日本100名城の水戸城(旧弘道館)から千波湖経由の萩まつりの偕楽園までウォーキング

日本100名城の水戸城(旧弘道館)から千波湖経由の萩まつりの偕楽園までウォーキング_b0221506_19591876.jpg







白鳥の幼鳥、まだ大人になり切れてないグレーの白鳥です。

とても、愛くるしい顔立ちです。

場所は、茨城県の水戸市内の千波湖の湖畔です。


これは、遡りますが去年の9月21日(月)の事です。

撮影はしてるんですが、ブログに紹介してない旅系のネタは沢山あるので

過去の記憶を思い出しながらブログアップしたいと思います。



日本100名城の水戸城(旧弘道館)から千波湖経由の萩まつりの偕楽園までウォーキング_b0221506_19591995.jpg







水戸城址がある水戸駅の北口に降りると(2階)

お馴染みの水戸の光圀公の水戸黄門と角さん助さんの銅像が

お決まりの写真撮影してその後は、

直ぐ近くの

 
水戸藩初代藩主徳川頼房公により、

元和7年(1621年)徳川家康公を祀る神社として創建されました。

東照宮に



日本100名城の水戸城(旧弘道館)から千波湖経由の萩まつりの偕楽園までウォーキング_b0221506_19591900.jpg








お参りして家紋「三つ葉葵」を撮影

その後十分ぐらい歩いたのかな?


弘道館に到着


 水戸藩の藩校として、水戸藩第9代藩主徳川斉昭公により

天保12年(1841年)8月に創設されました。

藩士に文武両道の修練を積ませようと、

武芸一般はもとより、医学・薬学・天文学・蘭学など

幅広い学問を採り入れてました。

当時の藩校としては群を抜いて国内最大規模で、

全国各地の藩校建築に影響を与えたらしい。

 第15代将軍の徳川慶喜公も、

父斉昭公の厳しい教育方針で5歳の時から

弘道館で英才教育を受けたしい。

慶応3年(1867年)の大政奉還の後に

謹慎した至善堂(しぜんどう)が今も残っています。

 弘道館は国の特別史跡になっており、

幾度の戦火を免れた正庁・至善堂・正門の3か所は

重要文化財に指定されています。



ここで日本100名城のスタンプを押します。


久しぶりのスタンプでやっと18城目です。


日本100名城の水戸城(旧弘道館)から千波湖経由の萩まつりの偕楽園までウォーキング_b0221506_19591922.jpg








この正門は普段は閉じたままですが,

皇族などがお見えになると開門するそうです。


日本100名城の水戸城(旧弘道館)から千波湖経由の萩まつりの偕楽園までウォーキング_b0221506_19592018.jpg








入場料は¥200です。

映画「桜田門外の変」のロケ地でもあります。

いろいろな時代劇のドラマ、映画の撮影で利用されてるみたいです。


日本100名城の水戸城(旧弘道館)から千波湖経由の萩まつりの偕楽園までウォーキング_b0221506_19592037.jpg








無料ガイドさん達が園内には居るので

ガイドをお願いし一通り説明を終えてから

弘道館と正門が一緒に撮影できるポイントを教えてくれたのでカッシャと

その後は徳川斉昭公像

徳川頼房公像

杉山門

旧水戸城薬医門

水戸黄門神社経由で

水戸駅北口まで歩き偕楽園まで目指します。


日本100名城の水戸城(旧弘道館)から千波湖経由の萩まつりの偕楽園までウォーキング_b0221506_17453131.jpg






途中、千波湖が視界に入ってきて

おや、遊歩道があるじゃんと思いながら

手前、桜川と奥の千波湖の間にある遊歩道に。


日本100名城の水戸城(旧弘道館)から千波湖経由の萩まつりの偕楽園までウォーキング_b0221506_17453110.jpg



ここの水鳥たちは、餌付けされてるらしく

人が近くを歩いてものんびりとしてて

こんな感じで近くまで寄って行くことができます。




そして、偕楽園


 金沢の兼六園、岡山の後楽園とならぶ

「日本三名園」のひとつで、

天保13年(1842年)に

水戸藩第九代藩主徳川斉昭によって造園され。

斉昭は、千波湖に臨む七面山を切り開き、

民と偕(とも)に楽しむ場にしたいと願い、

「偕楽園」をつくりました。

約13haの園内には約百品種・三千本の梅が植えられ、

早春には観梅客でに賑わうらしい。

なるほどね~

そんな経緯があって、この立派な庭園は

今もなお、無料で開放してるのかな~と思いながら

好文亭に

好文亭は有料になります。


日本100名城の水戸城(旧弘道館)から千波湖経由の萩まつりの偕楽園までウォーキング_b0221506_19592056.jpg



好文亭からの萩






好文亭の名前の由来は、

晋(しん)の武帝の故事

「文を好めば則ち梅開き、学を廃すれば則ち梅開かず」により、

梅の異名を「好文木(こうぶんぼく)」といったことから

命名されたといわれています。


日本100名城の水戸城(旧弘道館)から千波湖経由の萩まつりの偕楽園までウォーキング_b0221506_19592052.jpg





日が暮れライトアップされた萩と好文亭

その後、最寄りの偕楽園駅から

水戸駅まで電車で戻ろうとしたけど

駅が封鎖されてて中に入れん、、、

良く調べるとこの駅は

偕楽園臨時駅となってるじゃん。

梅まつりの繁忙期に駅は稼働するらしい、

参ったな~と思ったけど,

すぐ近くにバス停があったので

バスで水戸駅に向かいました。

この後、夕飯がてらお酒飲みに行ったけど、

美味しくなく残念。












by pesce0414 | 2016-02-03 07:39 | 日本100名城 | Comments(0)


<< 夕焼けの三番瀬を白幡天神社から...      マグレ・ド・カナール(フランス... >>